2015年10月、福岡でのこと
昼過ぎに小倉を出て小鹿田へ。大分の日田インターを降りて、川に沿って山に向かっていきます。しばらく、くねくねの道を登り、不安になりはじめたころ、小鹿田の集落が見えてきました。ちょうど小鹿田では民陶祭が行われてました。10軒ある窯元の軒先に、焼き上げられた器が並び、遠くのほうで川の水を利用した唐臼が鳴り続いています。
軒先には、大皿や小皿、茶碗に、湯飲み、箸置き、花瓶、お猪口などが並べられていました。「焼き物が並べられていた」と言うと、美術館の展示のように「これは大切なものですよ」という雰囲気の並びを、思い起こします。そんなたいそうなものではありません。食後に食器を洗って、水滴をふきんで拭き上げて、食器棚に置くいつものように、並べられていました。そういうところから、小鹿田焼は、よそゆきのときに、特別ていねいに使うものではなく、普段使いの焼き物だとわかります。(ご存知、乱暴に床に投げつければ割れます)
軒先を物色しながら歩いていると、売り物に混ざって、花が生けてありました。たまたま、その軒先にだけ置いてあると思いましたが、別の軒先にも、また生けてありました。材質や色づかい、飛びかんななどの装飾、全体のスタイルを見ても、軒先に花瓶として使われている小鹿田焼は、飾られ並べられているときには、とうてい真似のできない良さがあることに気づきます。
器は使ってはじめて、器と呼ぶのだと、小鹿田焼きの里で思いました。