2015年10月、福岡でのこと
友人との待ち合わせまで時間があったので、博多駅から少し歩いて、楽水園へ。高いビルに囲まれた中に、土壁に囲まれた屋敷が、ひっそりとありました。開館したての9時過ぎには、誰もおらず、しばらくの間、自分の庭のように、散歩しました。門をくぐって玄関へ向かう石畳が素敵で、門から玄関にたどり着くまでのアプローチに、家主の思想が現れているのだと思いました。
ソフトからハードまで、あらゆるものの何か違うなと感じるもの、本物と言われているものには、デザインされた入り口へ通ずる道があって、そこには、何かが隠されているのではないだろうか。それが、プリンシプルではないだろうか。
楽水園の玄関への道、小鹿田への道のり、柳川のうなぎ屋、北九州の寿司屋の食べるまでのアプローチ。福岡には、うなぎと寿司を食べる目的で行ったのだけど、いく先々では目的までのアプローチの方に、目が行きました。例えば、家に入る前の道、うなぎを食べる前の路地、寿司を食べる前のお手拭きなど、入り口がデザインされていたら、目的をより明確に伝えられる、そう思えてなりません。本物とは、そういうものなんだと思います。これは、行かなければ分からなかったことです。やはり、宮本常一の「あるく、みる、きく」の姿勢を見習わなければいけません。