What I see

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TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

Let's meet somewhere in the world
kida-journal.hatenablog.com/


9月に買った本

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岡倉天心『茶の本』より

岡倉天心『茶の本』

奥田透『焼く』

今和次郎『日本の民家』

植草甚一『コラージュ日記 東京1976』

服部文祥『アーバンサバイバル入門』

徳野雅仁『自然流家庭菜園のつくり方』

吉野裕子『陰陽五行と日本の習俗』

 

さて、9月

ふらっと書店に寄ったのが間違いだったようです。8月に寄ったときには、ソロー『一市民の反抗』を探していました。見当をつけていた本棚には、ソロー『森の生活』はあるものの、前述の本はありません。結局、ソローは、amazonで注文することにし、目を横にやると、服部文祥『アーバンサバイバル入門』が並んでいました。おもしろそうだなと手に取り読んで棚に戻して店を出ていきました。それから、ひと月の間、ぼくのなかで、あの本おもしろかったなあって、じわじわおもいはじめました。amazonで確認すると、中古品で値段が定価の1.5倍になっている。これは再訪せねば。

 

9月になったら書店に出向いて買うしかないなとおもいながら、9月に入りました。心で残っといてくれと願いながら、書店の目指す本棚に向かうと、そこには、まだ前と同じように残ってありました。その本をすぐに手に取り、だれにも渡さないぞと抱え込みながら、書店内をぶらぶらします。近くの本棚に、植草甚一『コラージュ日記』がありました。中をちらっとみると、手書きの日記でした。ぼくの腕の中にもう一冊、本が増えていました。ぼくはめっぽう日記に弱いのです。よしっ。本日はこれでさらばと、レジに向かう途中、岩波の白地に水色の背表紙がぼくの目に入ります。岩波のブックデザインはとても魅了的で、その本は、今和次郎『日本の民家』でした。柳田國男と一緒に日本全国を行脚したときに、スケッチした日本の民家がここに残っています。ぼくは腕に3冊の本を抱えて、レジに並んでいました。

 

話は変わって、ある日のこと。せっかく身近で、鹿肉を手に入れることができるのなら、それを食べない手はない。同じ食べるのなら、おいしくいただきたい。どうしたらおいしくいただけるのか。肉は焼くべきだ。肉を焼くなら、やっぱり炭。そうおもって買ったのが、奥田透『焼く』。このあたりぼくはイメージ先行でやりはじめてしまう。頭に思い浮かんだらどうしてもやってみたくなる。

 

ある日。『月刊 遊 特集ジャパネスク』を読んでいると、その中に、基本図書入門とあって、前から気になっていた岡倉天心『茶の本』がこう紹介されていました。「こんなに短くこんなに密度の高い本は珍しい。茶に禅と道教の精神譜を読んで、われらがイメージ・コスモスの極点を行く。」ふらっと寄った大型書店の新潮の棚にそれはありました。

 

ある日。また『月刊 遊 特集ジャパネスク』を読んでると、そこではじめて、吉野裕子さんを知りました。ここでもその紹介を。「民俗学界のスーパーレディ・吉野裕子女史には、聴くものをゾクゾクさせる興奮が渦を巻いている。精緻でありながら大胆なその論究が日常身辺の出来事におよぶとき、人は思わず声をあげるような発見の中で、日本民俗学のいくつかの謎が氷解するさまを眼のあたりにすることができる。」ぼくはこういった、紹介文に滅法弱い。

 

はじめてやることや知らないことが多いときには本が、ある程度わかっているときには動画が有効です。このふたつのコンビネーションは決定的に有効です。いま、ぼくは知らないことが多すぎるので、本をたくさん読まなければいけないとおもっています。バックミンスター・フラーは「最後は、関連する仕事場や工場でしばらく働いて、『図面化できないノウハウ』や『記号化されない情報系』を、道具の使い方を通じてその達人や職人、そして、彼らがいる環境から直接学ばなければならない」(梶川泰司さんのインタビューより)知識ではなく、知恵を身につける。知恵は現場でしか学べない。しかも、だれも教えてくれないから、盗むしかない、とぼくは最近考えています。