What I see

なにを見て、どう思っているのか。

TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

Let's meet somewhere in the world
kida-journal.hatenablog.com/


近況 17_10_01

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日々の雑事に忙しく過ごしていると、見過ごすことが多い、というより、いろんなことを見過ごしていることにさえ気づかない。それでも日常は些細な変化を毎日繰り返している。事務所の机の上のカレンダーを見ると白露だった。やけに最近、露が多いはずだ。

 

そもそも、七十二候や二十四節気、十二月は、陰陽五行によるもので、陰陽、五行、易は中国の古代思想。これらのはじまりは、天文学で、四季の移ろいが、暮らしに合うのも当然といえば当然なのだ。なにもしらなくても、ああなんだか秋っぽいなとおもう、ほどにぼくたちの生活に溶け込んでいる。忙しいと気づかないけれど、ぼくたちは星や月の巡行と一緒に毎日を過ごしている。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」と藤原敏行は詠む。風の吹く方向とその重さ、空の高さ、光の差す角度、虫の音に、注意できるほどに、日々に余裕をもっていたい。そこを見失ってしまうと、取りかえしのつかないことになってしまうのが日本という国だったのだから。さて、稲は刈られ、田の神は、そろそろ山へ帰られるようだ。

 

最近は日本についての本を読んでいる。本来から未来を考える。日本人としての本来とはなにか。日本文化史的に考えごとをするなら、「座禅は焦らずに時機を待って熟考することを、マンダラは情報を多方から収集してその専門家を配列することを示します」(松岡正剛『日本という方法』より)ということだろう。秋の夜長に読書がいいのはこういうことなのかもしれない。

 

最後に、岡倉天心『茶の本』から、ぼくの好きな一節を。「現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行われている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女媧を必要とする。われわれは大権化の出現を待つ。まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。」