What I see

なにを見て、どう思っているのか。

TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

Let's meet somewhere in the world
kida-journal.hatenablog.com/


近況 16_08_12

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お盆休みです。今年も、携帯の電源を切って、どこか遠くの見知らぬ場所へと出向きます。というのも、ひとはみな、同じ長さの時間を持っていますが、時間の質を、ぼくは大切にしたいのです。一年のうちの数日を、こういうふうに過ごすことで、残りの364日が輝くとおもっています。水を感じたいから水を抜く枯山水のように、あらゆる当たり前から出て行くことによって、自分の本来を見つめます。そんなとき、神話学者のジョゼフ・キャンベルを思い出します。「今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるか、そんなことを一切忘れるような部屋、ないし一日のうちのひとときがなくてはなりません。本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所です。これは創造的な孵化場です。はじめはなにも起こりそうにないかもしれません。しかし、もしあなたが自分の聖なる場所を持っていて、それを使うなら、いつかなにかが起こるでしょう。」

 

フィリピンにいた頃、夏がずっと続くあの感じに飽きてしまいました。日本にいると、七十二節季があるように、2週間で季節が変わっていきます。春夏秋冬を、一年を3ヶ月で分けると、それぞれの季節は、別のクニに住んでいるようにまったく違います。今年の北海道の最高気温と最低気温の差は60度でした。日々刻々と季節が移ろいでいくなかで、ひともそれに合わせて、移ろいでいかねばいけません。季節や気温は、地球と太陽の関係していますし、夏は昼が長く、冬は夜が長いのです。そんな季節のもとに、今も昔もぼくたちは生活しているのです。季節の移ろいを感じて生きるというのは風流だとおもうかもしれませんが、かつては死に直面する問題でした。繰り返しますが、住むクニが変わるのです。そんな生活から生まれるものが文化なのでしょう。

 

そう考えると、移ろいや月のカレンダーを、生活に取り入れるほうが、日本で住むのなら、体には都合がいいのかもしれません。明るくなる頃に起きて、暗くなったら寝る。体にはそれがよく、もしかしたら、社会にもその方がいいのかもしれない。事実、明治6年まで、日本人は不定時法で生活をしていたのだから。

 

さて、どこかに行こうとおもったり、なにかを知りたいとおもったときには、宮本常一の言葉を思い出します。「かしこくなるということは物を考える力を持つことであると思う。物を考えるには考えるための材料がなければならぬ。それは周囲にあるものをよく理解し、同時に、もっと広い世界を知らねばならぬ。そしてまず自分の周囲をどのようにするかをお互いに考えるようにしなければならぬ。」どうやらぼくたちが考えていることや話すことは、ぼくたちの頭の中から絞り出したことではなく、読んだ本や聞いた話を借りて話しているようです。だから大事なのは、あるく、みる、きくこと。その経験が思考に影響を与えます。価値観を変えれば、豊かな社会なんていくらでもできるのだろう。

 

ツクツクボウシが鳴きはじめ、甲子園が始まり、お盆がやってきて、花火の音が遠くから聞こえてくる。季節は回る、ぐるぐる回る。今年もこうして、夏が過ぎてゆく。日本の夏は短い。