What I see

なにを見て、どう思っているのか。

TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

Let's meet somewhere in the world
kida-journal.hatenablog.com/


近況 17_06_20

スポンサーリンク

DSC07686

DSC07643

DSC07618

DSC07669

DSC07675

DSC07674

 

高知にいます。松岡正剛氏は「本は二度以上読まないと読書じゃない」という。「読書って二度するほうがいいんです。同じ本をね。というのは、読書にはその本のこととはべつに、いつ読んだのか、どんな気分で、どんな感受性のときに読んだのかということが、密接にかかわっている。道中がくっついている。宿泊先の枕の感触もくっついている。読んだ本の感想を書くには、このことを無視できない。」(松岡正剛「多読術より」)これって、どこかに訪れるのにもいえるとぼくはおもう。

 

文化が残るのは、法以上に、地形とか中央から物理的に離れていることによるのではないか、と2年ぶりに訪れた高知でおもう。柳田國男は蝸牛考では、文化首都から伝播して周辺に古形が残るという。高知県には、空港はあるものの、新幹線はなく、東京のひとやものが直接入ってきづらい。平日の17時にひろめ市場でできあがっているひと。曜日ごとにある朝市。路面電車や、自転車での通勤。生ニンニクのスライスをたっぷりのせて食べる鰹のタタキ。皿鉢料理や、べく杯。これが高知なのだとおもった。

 

はじめて訪れたときと再訪したときに感じたことの差を大切にしたい。高知が変わったのでなくて、ぼくの高知を見る目が変わったようだ。そういう目を養うためには、世界を広げるしかないと実感しています。

 

じゃあどうやるかというと、それは、母国語を広げることです。世界は母国語でできているということを片岡義男から学びました。あるひとの言葉の集積から、その人のスタイルを学び、そこから、その人の理念を知る。食べものや、聴いている音楽から、その人のスタイルを抜き取る。ソンタグはいう、内容よりスタイルが大事だと。小津安二郎の50mmフィルムと低い視線の撮影の裏側に隠されているのは、内容ではなく、スタイルなのだと。

 

だから、生活において、信念や目標がないって、非常にまずいと現代に生きていておもう。そして、それって、日常ではわかりづらい。非日常の中に身を置いたときに、身から染み出してくる。旅をしたときになにを見ているのか。そういうスタイルを見抜く目を養って行きたし、再読や、再訪で感じた差を大切にしたい。

 

何回食べてもおいしい料理を出す店はあるし、毎年おみくじを引いて毎回大吉の相性のいい神社もある、いつ会てもまた会いたいとおもうひともいる。繰り返すことでしかわからないことは確かにあるから、それを確かめたい。