What I see

なにを見て、どう思っているのか。

TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

Let's meet somewhere in the world
kida-journal.hatenablog.com/


近況 16_10_30

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ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。からといって、新聞が騒ごうが、テレビが騒ごうが、僕はいたって冷静だ。誰がなんて言ったって、ボブ・ディランはボブ・ディランで、僕の中のボブ・ディランは、「僕の」ボブ・ディランだ。

 

思えば、僕たちの手にすることのできる情報は、たくさんある。そのなかで、僕が一番嫌うのは、最後に、「僕は知らんけど」と付け加えられるようなものだ。たとえば、「おもしろい本、何かない?」って聞いたときに、「あの本おもしろいって、誰々が言ってたで」といったようなものだ。あんた読んでないのかい!これはいろんなことに当てはまる。うわさばなしなんてそうだし、訪れたことのないラーメン屋の話をされたら間違いなくそうだ。もっと大事なことがある。

 

僕が大切にしたいと思っているのは、いろんなことに「僕の」を付けること。「僕の」を付けると、ものすごく偏っていて、個人的で、かなりおもしろい情報(または話)になる。そういえば、「文章がうまくなる秘訣」ってエントリーにある、井上ひさしの作文教室に「自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということ。書いたことが面白いというのは、その人にしか起こっていない、その人しか考えないこと、その人しか思いつかないことが、とても読みやすい文章で書いてある。」とあって、まさしくこれだな。これを一次情報と言うのだけど、僕はこれがめちゃめちゃ好きだ。「自分で足を運んで見て感じたことを、私見で語っている」情報は、僕が思うところ、ものすごくおもしろい。

 

周りの人はああ言っているけど、そんなことは僕にはどうでもよくて、そんなことより、僕はあなたのかなり偏った、個人的な話が好きだから、僕はあなたのおすすめを、誰がなんて言ったって信じるよ、(あるいは、そんな話が聞きたい)というのが、これから大切になっていくんだろうな。僕たちは正解のない社会で生きているのだから。僕も、自分で足を運んで見て感じたことを、私見で語らないとな、と思う。

 

今日も、「僕の」ボブディランを爆音で聞く。「僕の」を話せるひとを大切にしたい。誰がなんて言ったって。