What I see

なにを見て、どう思っているのか。

TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

Let's meet somewhere in the world
kida-journal.hatenablog.com/


近況 16_07_31

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ずっと前から行ってみたかった河井寛次郎記念館へ。いつもただ通り過ぎるだけの、東山五条へ向かいます。車の窓越しではわからなかったけれど、路地の中を歩くと、この辺りには、庭に窯がある家の多いことに気づきます。

 

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さて、この記念館は、河井寛次郎の住まい兼仕事場を公開したもので、京町屋の中には、陶芸や木工作品が多く飾られてあって、また共同で使われていた大きな登り窯もあります。展示品を含めて、窓から見た庭、歩いたときの床の音、館内の暗さや静かさなど、館内全体が作品のように感じます。

 

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建物には、神様が祀ってあって、河井寛次郎が作品作りを通して、自分ではどうしても及ばない力があるということを、認識していたのだと思えてなりません。

 

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ヤリガンナで削ったような木彫りの椅子は、杢目が綺麗に浮かび上がっていました。その椅子だけを見れば、「あーこの椅子の杢目きれいだな」ってなるけれど、そういった椅子が、囲炉裏を囲っていたり、円形に並べられているのをみると、椅子は飾るためだけでも、座るためだけでもなく、それ以上のことを意図しているのではないかと、深読みしてしまいます。

 

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階段を上がってすぐの部屋の壁に、「楽在其中」の書が飾られてあって、建物の中のものが、その言葉の意の通りの、着地点に向かっていることがわかって、腑に落ちたように、ふむふむと、いまの僕の気持ちをあらわしてくれました。

 

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実用的でない学問はただの雑学だと思う。大事なのは、何を評価し、どう生活に結び付けるか。わかっているようでいて、わかっていないことが多い中で、考えなければいけないことは、目の前のすぐ手に届くことではなくて、もう一歩二歩先の、手を伸ばして届くか届かないかくらいの先のことであって、それを、よき歴史とよき現在から学び、混ぜ合わて、よき未来を見なければいけないなと。 それにしても、自然と向き合っているひとや、自然から得たものを表現しているひとから、学ぶことは多い。