What I see

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TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

Let's meet somewhere in the world
kida-journal.hatenablog.com/


むしゃくしゃするなら、「村に火をつけ、白痴になれ」を読んで、伊藤野枝の生き様を見よ。

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ゴールデンウイーク明け、雨の休みに、栗原康「村に火をつけ、白痴になれ」を読んだ。伊藤野枝の人生を追ったノンフィクション。なんか、違う。伊藤野枝の生き様を見よと言ったほうがいい。

 

雑誌スペクテイター「クリエイティブ文章術」にはこうある。「ノンフィクションを書くのは簡単なことではない。ここに書かれているのはすべて本当のことであるという約束のもとにエピソードを積み上げ、読者に読まれる魅力的な原稿へと仕上げていくのは骨の折れる作業だ。」

 

さて、アナーキーと聞くと、インパクトがあって、カッコいいなと思ってしまう。意味がよくわからない、非現実的で、危険な匂いのする、カッコよさを。実際のところ、おかしいことをおかしいと叫んで、それでも何も変わらない、あるいは悪くさえなっていく。それは至極当然のことで、やっぱり立ち阻む壁がある。じゃあ動き出さなきゃって動いたとき、どうにかしたいという気持ちとか、覚悟とか、それとも、わがままと言うのか、まあそのようなものが、とにかく、周りの環境を変えていく。覚悟を持った人は強い。どんなに高い壁があっても乗り越えていく。

 

「村に火をつけ、白痴になれ」は、話し言葉で進んでいく。著者がこの本を書いているときに、思わず声に出た「いいね」「やばい」「かっこいい」なんかが、文字として、本に現れる。やはりそれに、僕のほうも「よく言ったぞ」なんて思う。よくぞ伊藤野枝を世に送り出してくれた。少なくとも僕はそう思う。僕は伊藤野枝のことを知らなかった。

 

好き嫌いがものすごく分かれると思う。フェミニズムやアナーキストに関わる人のことを取り上げているから難しいと思うかもしれないけど、それを一旦そっと横に置いて、伊藤野枝の生き様に触れて欲しい。爽快。ひとり本を読んでたって、むしゃくしゃしてたって、笑ってしまう。いったれ野枝と。野枝の生き様は、啓発の棚にある本に書かれている、薄っぺらい文字なんて、容易にどこかにぶっ飛んでいく突風なのだ。5月の連休明けの雨の続く日に、そりゃもうスカッとする。雨雲さえどっかに飛んでいく。

 

さきの、スペクテイターのつづきにはこうある。「しかし、だからこそ人の心を動かす力を持っていると僕は思う。一篇のノンフィクションの記事が人の生き方や国の行方に影響を与えることだってある。」