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TOSHIKI KIDA

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木田 俊樹

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宮本常一「民俗学の旅」 おもしろいことをやってやろうじゃないかと思っている人に有効

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携帯電話が壊れて、出先で本を読む時間が増えた。去年好きになった宮本常一さんの「民俗学の旅」を読み返し、これから、なにかおもしろいことをやってやろうじゃないかと思っている人に、有効だと思った。

 

宮本常一のバイオグラフィー、自叙伝である。宮本さんが目で見たこと、経験したことや聞いたことから、飛躍し推測し独自の意見が繰り出される。そういうと、難しいと思いがちだが、決してそうではない。「塩の道」を読んだときもそうだったけど、友人に話しているように書かれているので、すらすらと読めてしまう。世間の当たり前として認識されていることが、実際には違ったのではないのかという話。例えば、こんな具合に。

 

漁村の住み分けの話からの展開

日本では武士、商人、農民、漁民はそれぞれ住み分けていたのではなかろうか。これを武家政治では士農工商として断層的に規定していったけれども、一般社会を見るとかならずしも断層的でなかった場合が多い。歩いていて現実の姿を見ていると、これまでの概念規定に疑問を持つようなことがたくさんあった。

 

終戦後に宮本さんが見たものからの展開

9月半ばであったと思う。アメリカ軍が和歌山県和歌浦に上陸して大阪に進駐するというので、2、3日まえその通路になる紀州街道を自転車で走ってみた。すると沿道の人が大ぜい出て道路掃除をしているのである。アメリカはわれわれにとって敵だったはずであるが、敵意を持っている人は意外に少ないのである。大阪から貝塚というとこらまでいって引きかえしたのであるが、みな嬉々として作業している。戦争というのは一体何だったのだろうと思った。敵意をかきたてる者によって、鬼畜米・英と叫んだのだが、どうもそれは民衆の本心ではなかったようである。

 

先日友人と、どんな情報を信じたらいいかという話になった。いろいろ話した挙句、「自分の目で見て経験して考えたことを自分の言葉で伝えているもの」というようなところで落ち着いた。それは、宮本常一のやったことそのものだった。僕のインプットもアウトプットもそうあるべきだ。

 

とにかく自分の眼でたしかめてみることが何より大切である。それも漫然と歩くのではなく、何かテーマを持って歩くようにすすめている。すると一ヶ所へ一回だけいってそれでおしまいにするということがなくなる。かならず何回も行って親しい人ができる。

 

宮本常一の本を読むとよくドキッとしてニヤッとする。いま当たり前だと思っていることをだれが当たり前だと言った。情報を扱う前に、今一度、どういうものを扱うのかを、考えてみるべきなのだ。