What I see

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TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

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kida-journal.hatenablog.com/


小山田咲子「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」 あの瞬間の味をしめたら、引き返せやしないだろう

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小山田咲子の「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」を読み終えたのは、昨年の5月のことだった。読みかけの本を、一気に読んだ。季節はずれの台風が来たので覚えている。彼女の数年の生活の記録が書いてある。ブログを書籍化したものだが、一味違う。読んでいる最中から、「えいやっ!」と背中を押してくる。
 
どこかに行く計画を立てる。飛行機を予約して、宿にメールを送り、旅先の天候を確認し、数日分の服をいつものかばんに詰め込む。空港への足を確かめ、通貨を確認して、パスポートを入れる。この計画を知っているのは、じぶんだけ。心の内側に計画があるうちは、誰も止められない。
 
えいやっ!って、飛び出すあの一瞬を、僕も知ってる。あの一瞬の味をしめたら、引き返せない。夜が明ける前にむくっと起き上がって、静寂の中に飛び出していく、あの感じ。
 
 
そこに、すでに起こったことだけでなく、うっすらと将来はこうしたいということが、書かれていたとしても、その未来に、その本人が存在しているとは限らない。だけど、そこに書かれていることが、世界中のどこかのサーバーに、アーカイブさていたり、あるいは、紙に印刷されて本棚に並べられている限り、それを書いた本人の意思は、世界を巡っていて、それを必要としている人の元に、たどり着くのだろう。もちろん本人は知らないわけだけど。そう思う。彼女は数年前に亡くなっている。
 
「美しいものを美しいとわからないほどに、人間の感性をコントロールすることはできないもの」
 
「こういう、ささやかだが理解の範疇を超えた出来事に出会うと、自分の中の常識というか価値判断基準の小ささや狭さを感じるし、目に見えぬものに対して謙虚な気持ちになる。」
 
「やりたいのにやれないというのは言い訳、というより、やりたい気持ちが足りないかあるいは自分が完全に自分と向かい合える環境を作れていないだけの話なのだろう。人が本当に何かをやろうと決めた時にはそれを邪魔するような強大な壁って実はあんまりなくて、環境はむしろびっくりするような偶然を用意して背中を押してくれることも多い。」
 
彼女の言葉は背中を押してくれる。このブログが誰に向いて書かれているのかはわからないけど、「旅に出よ。美しいと感じるものを信じよ。」と僕の背中を押してくれる。
 
 
ああ旅に出たい。台湾に行きたい。
 
人でごった返す夜市。スコールの後の夜の路面に反射する街灯のオレンジ。絶好調の湿度。エアコンの効きすぎるMRT。人ごみと湯気でいっぱいの地下食堂。綺麗に並んでいる路地裏の原付。文字はなんとなく読めるのに喋れない葛藤。人当たり良好。フルーツの艶。鼎泰豊の小籠包、牛肉麺、タピオカに、マンゴーonかき氷、パイナップルフレイバー台湾ビール。
 
現実は家でスタック中。いてもたってもいられない。