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TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

Let's meet somewhere in the world
kida-journal.hatenablog.com/


ひばり屋 立地と思想、生き方や考え方のアプローチやライフスタイルそのものが大事なのだ

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2015年7月、梅雨明けの沖縄でのこと、目的のカフェ「ひばり屋」について

 

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7月初旬の那覇は、青い空と灰色の入道雲がせめぎ合っていました。ジメジメした暑さ、生温い風に吹かれていると、やっぱり沖縄は南国だな。中心部を走っているモノレールを降りて、メインストリートである国際通りに向かって歩きました。観光客と地元の若者たちで溢れかえっている日曜日の歩行者天国。日本の別の都市部でよく見られる光景とあまり変わらず、足早にその場を去って、パラダイスと名のつく通りに入りました。あるカフェを探していました。

 

GPSは地球を包囲して現在地をほぼ正確に教えてくれます。手のひらの携帯電話が電波を受信して迷わず目的地にたどり着ける、それは疑うはずもないことでした。住所を打ち込んで地図が案内する通りに歩きました。しかしたどり着かきません。確かにここにあるはずなのに、そこにはありません。何度も同じ道を歩きました。携帯が指し示す場所に目当てのカフェはありません。そういえば、小さい頃の約束は、携帯電話なんてなかったのに、待ち合わせ場所で時間通りにちゃんと巡り合って遊んだことを思い返します。そんな感覚です。いま思うと奇跡のようだ。あたりをぶらぶらしていると、狭い路地があって、まさかこんなところにないだろうと思いながら歩きました。まさかこんなところに、そのカフェがありました。

 

ひばり屋。数年前に電気を使わないカフェ?があると聞いて、沖縄に行ったときには訪れようと心の中にしまっていました。電気がない、エアコンもないというより野外にリヤカー。屋根もない、場所も分かりにくい。おいしいコーヒーがあって、ゆっくりした時間があって、ゆっくりした客とゆっくりした店主がいました。今日生活を営む上で必要ではないのに必要だと思っているものはないし、失われていると実感するものがある。 

生命のリズムと時計の針との違和感。というよりも生命自体が画一化しているということだ。そういう矛盾がどこからくるかという問題は一応別として、ただ空しく一方的時間に飲まれてしまっては、生きてる甲斐がない。この旅行から半月ぶりで東京のわが家に帰ったとき、ほとんど乱暴ともいえる肌触りで、このズレを感じた。

岡本太郎「沖縄文化論 ー忘れられた日本」より

 

どのカフェの、メニューにも、内装にも、思想があります。ただ、立地に思想があるカフェはほとんどないと思います。「カフェは立地がその『思想』を現し、いわゆるカウンターな場所に出店することが大事で、なにより大前提となる生き方や考え方のアプローチやライフスタイルそのものが大事なのだ」と、ひばり屋のことを知ったきっかけになった人が言いました。

 

旅をして人と会って本を読む。台風が過ぎたら、夏がはじまる。

 

そんなふうに、メモが終わっていた。ひばり屋は、このとき行った場所から移動するようです。ちょうどのタイミングで訪れることができてよかった。立地と思想。移転したあとにも、ぜひ行きたいカフェです。