What I see

なにを見て、どう思っているのか。

TOSHIKI KIDA

TOSHIKI KIDA
木田 俊樹

Let's meet somewhere in the world
kida-journal.hatenablog.com/


近況 18_02_15

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山で大きく息を吸い込むと、もう春だと感じます。冬の終わり、春のはじまりを告げるのが節分です。正月の期間を松の内と呼び、門松などの松飾りなどによって山のスピリットを里の家に招きます。その期間の終わりにあたるのが節分です。冬は植物がエネルギー溜め込む期間であり、それを「殖ゆ」といい、転じて「冬」となりました。「春」は、その溜まったエネルギーで蕾がぱんぱんに「張る」ことなのです。

 

さて、2018年を迎えてから、最近まで、植物が春を迎えるようにエネルギーを溜めていました。天気が悪いことを言い訳に、家に引きこもってずっと読書をしていたわけですが。特定のテーマの書物をまとめて読み込むのにいい時期だったようです。今年最初の近況に、「一年の計は元旦にある。何事もスタートが肝心だ。ただ一歩目をはやく踏み出せばいいのではない。それよりも、どの方向に踏み出すかが大事なのはいうまでもない。だから、一年のはじめに気を整える。」と書いたように、スタートを切るための準備もようやく終えようとしていて、気づけば、日がすこしずつ長くなりました。これから気候は過ごしやすくなっていくのでしょうから、どんどん動き回ろうとおもいます。

 

最高の師は、答えを示さずに、進むべき道を示すのだとおもいます。いつ動くのかは、自分で決断しなくてはいけません。動くためには健康でなければいけませんし、荷物も少なくしなければいけません。だから、なにごとも準備が大切だと、節分を迎えた春のはじめにおもいます。そして、動き出すタイミングもまた、自然の教えから学ばなければいけないとおもう今週です。なにかに迷ったときには、歴史や文化に立ち返ることからはじめます。

近況 18_01_21

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今日を振り返える。

 

通りがかりのテレビに映っていたのは、10代の卓球選手。最近はスポーツやら将棋やら、なんでも10代の選手が活躍している。幼い頃からなにかをはじめると感覚が磨かれるのは必然だ。それは、スポーツに限らず、語学でもなんでもそうで、感覚が鋭い頃の教育はそのひとの将来に大きく影響する。と、おもいながら、いまさらぼくにとっては遅いので、世阿弥の「時分の花」を思い出す。

 

夕方、そういえば、明日から天気が悪いなとおもって、山へ水を汲みに行く。片道約一時間のドライブ。カーラジオから、ピーター・バラカンの声が聞こえる。トム・ペティの死因は鎮痛剤の過剰摂取だという。(プリンスも鎮痛剤の過剰摂取らしい)トム・ペティには慢性的な身体の痛みがあったそうだ。ぼくはトム・ペティのFree Fallingが好きだ。やはり健康でなくてはいけない。健康であれば考えもrightになる。rightな考えは、rightな行動になるとおもっている。世があまりよくないと感じたり、顔色の悪いひとをよく見るのは、食べものが悪いとおもっているのだけど、まんざらでもない。で、ちゃんとした食べ物について考えること、それを実践することは、いまからでもはじめられるし、効果はすぐにでる。うまくいっていなくて、なにかを変えたいなら、どこかへ行くより、髪の毛を切るより、パンクミュージックを聴くより、食べ物を見直すことだ。健康に留意したい。(今日は甘いものを食べてしまったから来週から砂糖を控える) 

 

水を汲んで帰路につく。Michael ProphetのFight it to the topをピーター・バラカンが選んだ。2週間に一度のドライブコースは現代の遍路のようなだ。昔なら歩きだっただろうが、それが車に取って代わっただけである。テクノロジーは進化しても、方法は変わっていない。一時的な世界からの逃避(帰ってくる前提の)は、かなり効く。頭のぐちゃぐちゃが整理される。よく考えると、古事記に日本の創発の仕方が記されている。イザナギは黄泉の国から帰ってきて、アマテラス、スサノオ、ツクヨミを生んだ。イザナギは男。出産ではなく禊から。それも目や鼻から。日本という方法は、いまも昔も変わっていない。そう、生むのはアイデア。その方法をいま見つめている。下地は丁寧に。インターネットラジオからChet BakerのThat old feelingが流れる。